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  • 2011.09.15 Thursday
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1ヶ月経って思うこと

3.11 14時46分


その日は車で被災して、長町で揺られた。周りの車がハザードあげてみんな停まる…と同時に巨大な揺れ。左右に揺られ、タイヤが浮いてるように体感した。中央分離帯にある街頭がペンみたいなか弱さでブンブン揺れ、『これ倒れてきたら死ぬかな?』って凄い動悸の中、冷静に思った。街の人は悲鳴あげながら建物から外へ。停電。

長い本震が落ち着き、車は徐々に動きだす。信号が棒になった道ではみんなが譲り合いで通る中、事故も起こる。私の目の前でも人がはねられる。


お客さんと15時に約束だったその日。もちろんキャンセルを伝えすぐ帰路へ。お客さんのお店は滅茶苦茶。

学校を経由し、帰宅困難者を拾おうと思ったが三者には託せないとのことで1人帰路へ。その時16時過ぎ。

車のテレビには津波来襲の仙台空港が。


その日は吹雪。地震後から異様な暗さ。そして中心部でも積もり始める。暗すぎる。17時前にライト点灯。渋滞。その間も余震。

道は橋のかかるとこはほとんど全て段差。見た中で一番凄かったのは50造阿蕕ぁ


完全に日が落ち、ライトの明かりだけが頼りに。しかしゆっくりしか進まない車のヘッドライトは雪に覆われる。容赦無い吹雪。滅茶苦茶くっついて走らなきゃ道が無くなる。そしてガソリン20叛擇襦2箸泙婆60繊


4号線は時間が掛かりすぎると判断。一か八か裏道へ。ま、どっちも混んでる。ヒッチハイカーも居る。


道は真ん中からぐっさり地割れ。見回りきれてない為考えられない様な道が通行可になってる。

コンクリが砂利道みたくなってたり。中央がベッコリなってるから路肩に寄れば、路肩は崩れ崖になってたり。ジェットコースターのコースみたくアップダウンしてたり。とにかく今はその道全部通行止め。


無我夢中だったから帰路は早かった。着いて20時半。

0時ぐらいまでに少し寝て起きて、寝て、起きて…その繰り返し。真夜中は全然眠れない。友人たちと安否確認しあったり。でも電気も無いから節電。とにかく暗いうちは恐怖で眠れない。地震が起きてるだけなのに、暗闇になにか居るんじゃないかとか変な考えも起こる。その日は夜明けまでとにかく長かった。早く早く明るくなれ!って。こんなに思ったのは人生初。



11日から12日の朝までの事は色々覚えてるんだよね。他の日はたいして覚えてないや。



ドキュメンタリー番組とかまだいらないって感じもする。が、ライフライン戻って日常を取り戻すと徐々に意志が薄れる。だから嫌でも思い出す為には必要だとも感じる。


忘れたい程辛い日だが、忘れず伝えなければ未来の若者が命を落とす。明治からの教訓をもっても沢山居なくなったのだから。


自然と共に生きることは変えられないのだし、自然が無ければ生きられないはずだから。


誰だって嫌だけど天災はこれからもずっと起こる。

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  • 2011.09.15 Thursday
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